BOTANIST Journal 植物と共に生きる。

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SUSTAINABLE 17

「農」は一生つづく大人の自由研究。武藤千春が提案する、気負わない自然との向き合いかた

田畑を耕し、作物を育てる。生活の中にその一部を取り入れる暮らし、「農ライフ」の魅力を発信している女性がいます。武藤千春(むとうちはる)さんです。

長野県・小諸(こもろ)市と東京の二拠点生活を送りながら、現在は自身の畑で野菜を栽培している武藤さん。アパレルブランドのプロデュースやラジオパーソナリティなど、畑以外の場所でも活躍している彼女の話には、自分らしく自然と向きあうためのヒントが隠されていました。

家庭菜園へとつづく轍

長野県の東部に位置する、小諸(こもろ)市。
人口は約4万人、県内でも比較的小さな街です。

都内から新幹線とローカル線を乗り継いでおよそ2時間、今回の取材場所に到着しました。お話をうかがう武藤千春(むとうちはる)さんの畑です。2014年にダンス&ボーカルグループを卒業後、2021年からは小諸市を中心に「農ライフ」の魅力を発信されています。

8月初旬、この日の天気は快晴。ときおり吹いてくる冷たい風に、都内からやってきた取材班も思わず「涼しい……」の一言。セミの大合唱を聞きながら待つこと5分ほど。白い軽トラックに乗った武藤さんが、颯爽と現れました。

「こんにちは〜! この奥が私の畑なので、どうぞ入ってきてください」

踏み固められた轍(わだち)の上を進んでいくと、テニスコート1面ほどに広がる畑が見えてきました。

手前のスペースが武藤さんの畑。靴底からも伝わってくるほどに、土はふかふかです。

「ここではトマトやナスといった高原野菜のほか、コーンやジャガイモなどもつくっています。収穫できるのは基本的に春夏のシーズンだけ。小諸市は冬になると気温が一気に下がるため、野菜が育ちにくくなるんです。メインでやっているのはアパレル事業なので、生計を立てるための『農業』をしている感覚はありません。あくまでも自分が食べたいものを細々とつくる、家庭菜園の延長で『農ライフ』を楽しんでいます」

多めにできた野菜は、自身が運営しているECサイト・ASAMAYAのてのひら小諸定期便やMUTO VEGEで販売しているほか、市内で開催されるマルシェで販売することもあるといいます。

「スーパーではなかなか買えない品種をつくるようにしています。これは『縞なす』と言って、よく見ると白っぽいしましまが入ってるんですよ。その見た目から『ゼブラナス』と呼ばれることも。傷が入っているように見えるかもしれませんが、れっきとした模様なんです」

大きさは野球の硬式ボールと同じくらいでしょうか。その向かい側には、180cmにまで伸びる作物があります。ふと目線を落とすと、下の方には赤い実が。

「これはトマト。私の畑では『垂直仕立て栽培』といって、支柱に茎を縛ってつくっているんですよ。トマトにとってはストレスのかかる栽培方法なんですが、そのぶん皮も厚くなって歯応えがよくなります。垂直なので水分が全体に通りやすい……という噂を知り合いの農家さんから聞いて、試してみました(笑)。よかったら食べます? 赤くなっているのはもう食べられますよ」

こなれた手つきでトマトをもぎ採る武藤さん。「野菜はやっぱり、とれたてが一番おいしいですからね」という言葉を聞き、贅沢な気分でいただきます。噛んだ瞬間、ぷちぷちと弾ける弾力感。酸味と甘みのバランスも絶妙です。これはトマトの中でも糖度の高い、「リコピーナ」という品種だそう。

専門学生兼、アパレルブランドの経営者。多忙な日々を送った20代前半

地元は東京の五反田駅から徒歩10秒、都会のど真ん中で生まれ育ったという武藤さん。
そもそもなぜ、長野の小さな街にやってきたのでしょうか。

「祖母の移住手伝いがきっかけでした。祖母は長野にルーツがあるんですが、2019年くらいに『小諸に住む』と言いはじめて。私は生まれも育ちも東京。小諸には縁もゆかりもありませんでしたが、祖母の移住手続きで何度か通っているうちに『ここであれば、ようやく仕事と暮らしのバランスが取れるかも』と思ったんです」

2014年にダンス&ボーカルグループを卒業してまもなく、自身がプロデュースするアパレルブランド・BLIXZY(ブライジー)を創業。しばらくは寝る間を惜しんで働いていたといいます。

「SHIBUYA109店と原宿店の2つを運営しながら、毎月全国でポップアップを開いていました。しかも同じタイミングで2年間、英語の専門学校に通っていたんですよ。平日は毎朝8時から18時まで授業を受け、夜中の24時まで働いて家に帰ると今度は学校の課題に取り組む……そんな生活を3、4年ほど続けていました。ダンスのおかげで体力だけはあったので、『余裕!』って思ってたんですよね(笑)」

そんな武藤さんの身体が悲鳴をあげたのは25歳のとき。原因不明の高熱が半年間も続きました。

「首から腕にかけてしこりが10個くらいできちゃったんです。病院で診てもらった結果、『菊地病ですね』と言われて。良性のリンパ節炎だったんですが、特効薬もないので休むしかない、と」

休養中にブランドの方向性を考え直した結果、2つの店舗は閉店することに。それは10代の頃から応援してくれている人たちのためでもありました。

「お客さまの多くはデビュー当時からのファン。要は、グッズ感覚でご購入いただいてたんですよね。それなのに、私は忙しくて接客すらできないこともしばしば。自分の体調的にも、できるときにできる範囲でイベントを開くほうが、よっぽど交流できるんじゃないかと思いました」

店舗からECへとシフトしてからすぐに、新型コロナウイルスが蔓延。祖母の感染リスクを考慮し、本格的に小諸市と東京の二拠点生活を始めます。当初は土を触るのも、虫を見るのも嫌だったと話す武藤さん。どうして長野の山奥で「農」を営むことになったのでしょうか。

「祖母の移住についてきたのは、正直ノリです(笑)。だからか、1年半経ってもまるで知り合いができなくて。『暇だな〜』と思っていたとき、佐久(さく)市という街に行く機会がありました。佐久市には80代で農業を営んでいる遠い親戚がいて、そこではじめて耕作放棄地や担い手不足の問題を聞かされたんです」

知り合い欲しさの気持ちもあいまって、独学で栽培方法を学びはじめることに。YouTubeや書籍だけを頼りに、約20坪で「農ライフ」がはじまりました。結果的に、畑を介した関係性が徐々に広がっていったそうです。

「畑で過ごしていたら、近くで農作業をしていたおじいちゃんやおばあちゃんが声をかけてくれるようになったんです。まず聞かれるのが、『何をつくってる?米はつくれるか?』といった質問。東京で言えば『名刺交換』のような感覚だと思います。でも彼らは私の肩書きや経歴ではなく、『今何をしているのか』『これから何をしたいのか』といった未来の話を聞いてきたんですよね。彼らと交流を深めていくうちに、『生きていく力』ってこういうことだよな、と感じたんです。自分が食べるものを自分でつくれて、年齢や経歴が異なる人とも関係性を築ける。その力さえあれば、どこでも生きていけるような気がしました。10代から芸能界にいて、実績をあげることだけが生きる術だと思っていた私には衝撃的でしたね」

「農」は大人の自由研究

「話を聞いていると、どうやら種の植え方ひとつとってもその人の哲学があることに気づいたんです。『農』ってこんなにもクリエイティブなんだ、と」

次第に、栽培ノウハウだけではなく農家の方の「美学」を聞いて回るようになった武藤さん。小諸市で出会った「野菜農家」さんは、特に研究肌だと言います。

「自分でつくることも、もちろん楽しい。でも農家さんと話すことはもっと楽しいんです。たとえば、私の知り合い。10年前から就農して玉ねぎやにんにくをつくっている男性なんですが、彼の哲学は『野菜を自然と一体化させる』ことなんです。私たちはこうして林の中で畑を耕し、野菜を育てていますよね。しかも人間が食べるために、品種改良などで本来の生育スピードよりも早く成長するようになっている。要は『本来ならばありえなかったこと』をしているわけなので、自然からすればめちゃくちゃ『不自然』なことなんですよね。彼はそういった人間のエゴをちゃんと自覚して、わきまえながらも、『いかに自然の中で野菜を育てるか』といったことを研究しているんです」 そんな彼がつくる野菜には、農薬はもちろん化学肥料も入っていないそう。かわりに、茎や葉を土に撒く「緑肥(りょくひ)」と言われる方法を採用しています。

「自然の中にあるもので、どれだけ作物を元気にできるか。そういったことを彼はずっと考えているんです。農家さんって、実はみんなこうして『自由研究』をしているんですよね。でも、スーパーに並んでいる野菜からはつくる人の個性が見えてこない。言ってみれば研究結果が伝わりにくいんです。だから、『この人はこういう研究をしているんだよ』『(研究によっては)こんなに味が違うんだよ』というのを、もっと伝えていきたい」

潔癖すぎず、まじめすぎず。気負わずに自然と向き合う「農ライフ」

そんな武藤さんが提案するのは、「農ライフ」。自分のライフスタイルに合わせ、「農」を部分的に取り入れる暮らしです。現に武藤さんはアパレル事業のほか、県内外のテレビやラジオなどメディアにも幅広く出演中。2022年には市から「小諸農ライフアンバサダー」に任命され、情報発信にも積極的に取り組んでいます。

「まだ勉強中の身ですが、農業には大きく分けて2つの種類があると言います。売るためにつくる商業的農業と、自分で食べるためにつくる自給的農業。私が提案しているのは自給的農業に近い発想です。農業と聞くと、『365日、朝から晩まで大変な職業』って思ってませんか?」

筆者が持っていた、「農」へのイメージはまさしくその通りでした。雨の日も風の日も、年中無休で働き続けるイメージが先行してしまいますが……。

「実はそんなことないんですよ。私も畑へ来るのは2日に1回ほど。自分の食事とECの出荷分を収穫した翌日には、東京に出てラジオを収録したり、長野市でテレビの収録に参加したりしています。畑って、作物によっては意外と1日くらい放っておいてもどうってことないんです。キツネやハクビシンに野菜をかじられるくらい(笑)。私の場合はあくまでも自家用がメインだから、自分が食べられればそれでOK。こんなふうに、皆さんにも気負わず『農』に取り組んでほしい。それが私の言う『農ライフ』なんです」

とはいえ、住んでいる場所によっては生活圏内で畑を借りるのも一苦労。東京23区の場合、区が有料で貸し出している区民農園を借りるだけでも、倍率2倍〜4倍の抽選に通らなければなりません。

「『農ライフ』には正解も不正解もありません。ベランダでささやかにミニトマトをつくるところからスタートするのでもいいと思いますよ。自分が心地よく感じられる場所をつくるイメージで、まずはお家で植物を育ててみるといいんじゃないでしょうか」

インタビューの最後、「きっかけは『なんとなく』でいいんです。私もそうだったから」と語っていた武藤さん。「なんとなく」自分で食べるものを自分でつくってみたい。「なんとなく」緑の豊かな場所で暮らしてみたい——その「なんとなく」から、「農ライフ」は始まると言います。
BOTANIST Journalが提案するのは、自然の中に生きる「ボタニカルライフスタイル」。その向き合い方は「農」であれベランダ園芸であれ、人それぞれで良いのだということを改めて感じた取材でした。武藤さんが発信されている「農業ではなく、農ライフ」というキーワードは、自然に向き合うハードルを下げてくれる、ひとつの合言葉なのかもしれません。


撮影:持田薫
取材・執筆:三浦玲央奈(株式会社ツドイ)
編集:今井雄紀(株式会社ツドイ)