BOTANIST Journal 植物と共に生きる。

BOTANIST journal

HOW TO 08

自分は植物とは無縁の人間だと思っていた。

自分は植物とは無縁の人間だと思っていた。
文・藤岡みなみ

    小学校の課題でもうまく育てられたためしがないし、大人になって気まぐれにハーブを買ってきて即刻枯らしてしまうことも、一度や二度ではなかった。

    根本的にガサツすぎて植物をこまめにケアすることができない。そう思っていたし、植物を育てられないという失敗体験が、ガサツであるというアイデンティティをさらに強固なものにしていた。「私ガサツだから。だってサボテンやエアプランツですら枯らしちゃうんだもん」。生まれ持った性格、私が私であること自体が植物を遠ざけているとまで感じていた。

3年前、庭のある家に越した。
畑ができる!と喜んだのは一緒に暮らしている義理の母で、さっそく計画を立てて種や苗を買い込み始めた。

「見て。ここにはゴーヤ、その足元にはホウレンソウ、そしてこっちには里芋を植えるから。ほらほら。見てごらんよ。」

明らかに浮き足立っている。除草シートに覆われたまだ何もない土地が、彼女の目には立派な農園に映っているようだった。踊るような足取りで、野菜を植える区画を決めていった。

その様子を見ていたら、なんだか畑をやらないのは損に思えて、気づいたら私も便乗していくつかの苗と農具を購入していた。一人だったら踏み出す勇気がなかったかもしれない。すでに始まっているパーティに誘われるようにして、園芸の世界の扉を開いた。

土づくりは、たしかに少し骨が折れる。カチカチだった地面を柔らかくするため、毎日体力の続く限り耕して、いっぱい食べていっぱい寝た。しかしそのあとは、苦労をした記憶がほとんどない。




水やりを忘れたっていつか雨が降るし、つやつやのナスからナメクジが出てきても微笑ましいだけ。成長の途中で石にぶつかって人の下半身みたいになった大根は出会えてむしろラッキー。素人だからきれいな野菜でなくてもいい。野菜は結構勝手に育つ。ガサツだから植物と縁遠い、というのは完全に誤解だと気づいた。

エアプランツを枯らしていた頃と比べて、畑での失敗はクリエイティブでドラマチックだった。植物の生命力と地面の包容力に身を委ねて、私はただ呑気な観察者であるだけでよかった。

    おじいちゃんの畑の記憶

思い出したことがある。幼い頃、祖父が畑に精を出していた。畑の入り口には背の高いグミの木があり、「ほらあそこ、グミなってるやろ」といつも教えてくれたけれど、どこに実があるのか本当はよくわからなかった。あまりにも根気強く指差してくれるので、「ああ、あのへん?」とわかったふりをしながら(グミってお菓子の?グミって木になるものなの?)と頭の中では混乱していた。

祖父は私が生まれた日に柿の木を植えて、そのあと実がなるようになってからは、毎年段ボール箱いっぱいの柿を送ってくれていた。なのに子どもの頃の私は柿があまり好きではなかった。「みなみの木なんやからいっぱい食べ」というプレッシャーに負けていたのだ。



祖父が亡くなった今、大人の私にはそのおいしさがよくわかる。生まれた日に木を植えるというテンションの上がり方も、今考えると泣きたくなるほどかわいい。きゅうりやサツマイモ、さくらんぼ、スイカなど、野菜も果物も育てていたその畑は、今では砂利石が敷かれ、駐車場になっている。時々ひとり、グミがなっていたであろう宙を見つめる。

    植物と部屋の記憶

畑を始めて1年。調子に乗って40種類以上の野菜を栽培し、私にもできる!と何かがはじけて、園芸コンプレックスはすっかり解消された。しかし庭付きの家を離れることになり、私と義母の夢のファームはあっさり幕を下ろした。

新しい家には庭がない。義母は逆境に負けずに20個以上のプランターを用意し、ナスやパプリカやゴーヤをもりもり育てて、コンクリートの上に畑に劣らない農園を築いていた。

一方で、私は室内にこもった。畑で自信をつけ、栽培に抵抗がなくなったので、もっと植物の近くで暮らしたいと思うようになっていた。極端なところがある私は、今度は部屋の中を植物園のようにしてしまいたいと思ったのだ。




ガジュマル、モンテスラ、ゴムノキ、マハラジャ。お店で目が合った子をどんどん迎え入れた。アジアンタムとビカクシダは管理が悪く、枯らしてしまった。野菜の地植えと観葉植物の栽培、私にとってより難しいのは、後者かもしれない。水やりの量、タイミング、害虫への目配り。近くにいるのに家族になれなくて、ずっと客人のようだった植物も多い。

でも、やっぱり思い出した。母がずっとフラワーアレンジに親しんでいたことを。グリーンを増やすたびに、なぜか葉というよりも花のような華やかな香りが部屋に漂うようになり、そういえば実家にはいつも草花があったなと思った。玄関、リビング、電子ピアノの上。切り花になってもなお、1か月近く背筋を伸ばしているものもあった。植物がある部屋とない部屋では、空気の質感が少し違っている。自分ではない誰かが呼吸をしているのを感じるし、その息が少し、甘い。そのことを肌が憶えていた。

そこからまた引っ越しをして、いまは植物の数もぐっと減っている。観葉植物は、私と歩幅が合うものだけが残った。栽培している数で言えば、この3年でいまが一番少ない。だけど、かつてなく植物を身近に感じて生きている。手を伸ばすと、彼らは古い記憶を連れてきた。ガサツと思い込んで壁を作っていたのは私で、はじめからそばにいたのだった。

    植物を植えていない時も植物と生きてきた

街を歩けば、緑にグラデーションがある。葉の形、背の高さ。このフィカスはきっと、うちにいたんじゃこんなに大きくなれなかった。名前がわかると表情が見える。散歩中に目に入る、他人の畑の面白いこと。今ではもう、苗を見ればたいていなんの野菜かわかる。ああ、この時期にもうオクラ植えちゃっていいんだ。苗がわかれば、畑の未来が見える。来月には大変なことになりそうなジャガイモ・ゾーン。向かいの木になっているのがじいちゃんの言ってたグミかもしれない。

植物と生きるとは、植物と生きてきたと気づくことだった。今日もこの世界で深呼吸をしている人のなかに、植物と関係のない人はひとりもいない。花を植えていなくても、木の名前を知る前も、ずっと植物と暮らしてきた。土は憶えているし、私も憶えている。枯れても、いまは一緒にいなくても。

じつは近々、またもや引っ越しの予定がある。(もし私が植物だったら、たんぽぽの綿毛か、勝手に服にくっついてくるセンダングサか、なにかしら移動癖のある草かも)
ささやかな庭があるのが理想的だけど、そこまで贅沢は言えなくても、昼の半分くらい陽が当たってくれるベランダがあるといい。家の形に合わせていくつかの植物と再会を果たす予定。ずっと一緒にいて、何度でも出会う。これまでもこれからも植物と生きていく。



編集:むらやまあき 撮影:藤岡みなみ